ドイツディスカス復興プロジェクトで思い出すことなど 中編

 

1台湾で

 

台湾は出張にいくのが楽しい国だ。よく知られているように台湾は親日国で、町の雰囲気は日本 の町に近い。それは建物が似ている事に加え、台湾の人のたたずまいが日本人によく似ているか らだろう。街の雰囲気も人々の接し方も穏やかで、台湾料理までが例えば北京で食べる中華料理にくらべ穏やかに感じるのだった。 台湾のWBSABBYのインポーターは現在までで3回かわっている。WBSABBYは一度取引先を決 めると簡単に変わることはないのだが台湾はその中では例外で、いままでに3回取引先がかわった。 台湾の最初の取引先は首都台北市にあった。しばらくして第二の都市の高雄市の業者に変わり、 現在は台北の別のインポーターに変わっている。高雄と現在の台北の取引先はオーナ自身が大のディスカスファンで特に台北の取引先は本職のディスカスブリーダーでもあった。扱ってる魚はもちろんディスカスが中心でディスカスショップといったほうがピッタリくる。

(台北市の取引先の温室でディスカスのファンと。出張するのをいつも楽しみにしていた)

 

高雄でも台北でも出張に訪れるとドイツと同じようにオーナーが何人かのお客さんをかならず呼んでいた。店の中で作法にのっとっていれてくれる中国茶をすすりながら、お客さんに請われるま まアマゾンのいろいろな話、ワイルドディスカスの話をする。その頃はドイツや日本での経験から熱帯魚のファンがどのようなことに興味があるかわかるようになっていたので、事前にブラジルの 事務所で写真やビデオを用意した。それは「クイペアの採集風景の動画」とか「いままで WBSABBYがアマゾンで手に入れたもとっとも美しいディスカス」だとか「信じられないくら い真円に近いクイペアディスカス」とか「タパジョス河口で食べたプレコの丸焼きの写真」とか 「WBSBABYの近くにある透明な川のスケールの大き水景と熱帯魚」などを準備して行った。 中国茶をのみ煙草をスパスパ吸ってはしゃべる。ひとしきり話が終わると茶菓子が出る。その頃は日はとっぷり暮れていて何人かの客は帰っていく。残った少数の客とオーナーと私、そして時々はオーナの家族も一緒に食事に出かける。連れて行かれる多くの店は海鮮がおいしい 台湾料理屋だった。最初はどこかかしこまっていたみなも食事の時には打ち解けていていろいろ な話に花が咲くのが常だった。 その時にドイツディスカスの話がでたことがあった。 ショップのオーナーがディスカス話の流れの中でドイツの改良品種に話を振ってきた。 「自分はここで(台北で)改良品種を本気でつくっていた時に どうしてもドイツの”本場の改良品種”が見たくてわざわざドイツまで行った」 という。

「いつ?」と聴くとかなり昔だったという。 そこから話しが進んで

「で、どうだった?」

「その時はロートータキスを作ろうとしていた。なので本場のドイツでロートを見るのが目的だっ た」

「それで?」

「自分には学ぶべきものはなにもなかった」

 

(ティツェさんの温室で 2014年)

 

そこに若いディスカスファンが話にはいってきた。

その時はオーナーが自分のコニャックを店に持ち込みガンガン飲んでいた記憶がある 。 若い客は

”自分はドイツの改良品種の全盛期を知らないんですがー”と前置きした上で

「ドイツの改良品種のことは本で知りました ドイツがディスカスの改良品種を世界にしらしめ 一世を風靡した時代があったの本でしりました」

「台湾国内で輸入されてる改良品種にドイツ系統のものはないかと探しましたが素性のハッキリ しているものはありませんでした。台湾ではいまでは手にはいりません。」

「なぜドイツの改良品種をさがしたのか?」

と問うと

「それはディスカスにハマるうちに先輩達から当時のドイツのディスカスの話を聞いていたからで す。だから一度それがどういうものか見てみたかったからー 」

高雄でも当時の取引先から同じような話を聞いた。それは台北で問わず語りに聞いた話とほぼ同じで

「台湾ではドイツ風のディスカスは手に入っても往年のドイツディスカスは手に入らない」 という主旨の話だった 。

その話は決してテーブルのメインの話ではなかったが記憶に残った。 

(シュルツさんの温室で 2014年)

 

2 日本の影響力

 

台湾でも韓国でもディスカスファンはインターネットで様々なディスカスのサイトをチェックしており、私が想像していた以上にディスカスの知識を持っていた。そして彼らがチェックしているサイ トの主なものはドイツではなく日本のディスカスのサイトだった。

私がアジア諸国に頻繁に行くようになって気がついたことは熱帯魚の趣味の世界での ”日本の影響力の強さ”である。

ディスカスに限らず熱帯魚全般、例えばアピストグラマやプレコに於いてもその影響力は想像を超えて強かった。台湾でも韓国でもシンガポールでもタイでも、ショップにはかならず 日本の熱帯魚の単行本とか雑誌が置いてあって、それは何度も繰り返し読まれ(見られ) たフシがあった。日焼けしヤレがでていて汚れていた。

ディスカスに限って言えばディスカスアニュアルとディスカスイヤーブックはかならず置いてあり、それにアクアライフ、フィッシュマガジンも必ずと行っていいほど何冊かあった。熱帯魚の本を主に発行していた当時のピーシーズの単行本も散見された。松坂実氏率いるフェアウインドの特にプ レコの本もアジア各所のショップにおいてあった。

 

(2014年 ティツェさんの温室でディスカスを選ぶ韓国のバンさん。この時はバンさんと二人で いった)

 

それに比べると英語で書かれたドイツの熱帯魚関係の本はすくなかったと思う。

インターネットはすでに今とほぼ同じように皆みていたから日本の熱帯魚関係のサイトにも 彼らは”精通していた”といっていいくらい詳しかった。ハッキリ覚えているのは

特にアピストグラマでは熊本のレオンベールと東京のAn Aquariumのサイトを誰でも知ってい たことだ。

この二つのサイトは2000年台に入ったばかりのころは日本でもとても有名でアピストグラマではリーディングウェブサイトであり日本人の多くの熱帯魚ファンが人が参照していた。しかしそれがアジアで人気サイトになっているとは考えもしなかった。 

一方ディスカスについてもディスカスファンがよく見ているサイトがあるのを知った。それはまずB-Houseの朱月、そしてアクアマイスターのサイトで、モルフォ、ブルーベリー をディスカスファンはほぼ全員知っていた。「朱月(彼らはRED MOONと呼んでいた)はいいで すねぇ」と台湾でも韓国で何人もからきいた 。恥ずかしながらアクアマイスターのモルフォ とかブルベリーは私はチラリとか知らなくて、それがどのようなものかについては無知だった。台湾でディスカスファンに「日本のブリーダーがつくっているすばらしい青」として教えてもらった。正直それまで私は日本の改良品種についての知識はなく、それはドイツ改良品種についての知識よりさらに低くかった。 

私が後年倉津さんや芦田さんを台湾と韓国に誘い一緒に行ったのは、あのころの東南アジアでの 会話がその根幹に有る。

さて韓国や台湾でのディスカスファンとのドイツや日本の改良品種についての会話の断片はその時は特に気にしなかったが大事な一瞬だったのだと今になって思う。それは記憶の底にしまわれてはいたが消えることはなかった。

 

3 日本の改良品種と輸出

 

話はそれるが私がB-House倉津さんの朱月やアクアマイスターの芦田さんのモルフォやブルーベリーの前の時代前にも、決してすくなくないディスカスのブリーダーが日本に存在したと聞いた。 日本のディスカスファンの間で知られていたというそのブリーダーの名前もいくつか教えてもらっ た。どれも好みはあるにしろ決してドイツの改良品種に劣るものではなく、それぞれ特長のあるものだったという。するとなぜ日本のおそらくは高品質のそして美的にも世界で通用したに違いないレベルのMade In Japanの改良品種が海外マーケットに少数の例外を除いて輸出されなかったのかー疑問が湧くのだった。 

あの熱帯魚ブームの時の日本の改良品種のバイイングパワーはものすごかったと日本のショップやインポーターから繰り返し聞いていたし、私も第二次帯魚ブームの最後の一瞬にはブラジルで参加したので、その頃の日本のバイイングパワーは容易に想像がつく。しかしそれはあくまで「輸入大国」であって輸出としてはあらわれてこない。日本の改良品種こそドイツ改良品種のあとを追うべきポジションだったのではないかーという疑問がわいてくるのだった。

もう一つもっていた疑問はドイツの改良品種の歴史をすこしづつでも勉強するに連れ湧いてきたものだ。

「ドイツの改良品種は東南アジアの登場によってなぜかくも早く壊滅近くまで追い込まれたのか」

ということだ。アジアのつまり香港の台湾のペナンのディスカスの圧倒的な力の前であっという間にその影響力を失い風前の灯火となったのは何故なのか。おそらく5年程度で勝負はついたのではないか。ドイツが力を失う時代の後半は意識はしていないにしろ、ドイツに頻繁に行っていたので同時的にある程度その衰退を知っている。それはWBSBABYのワイルドの対ドイツ向け出荷の減少とドイツの衰退期の後半が重なっていたからだ。

 

(中国広州にてインポーターの夫婦と。今年日本に遊びに来た元TVのディレクター)

 

 

この疑問に勿論正しい回答などないしディスカスファンにとってさして興味があることとも思えない。ただ私には興味があった。それはもともと熱帯魚のファンでもディスカスのファンでもなく、飼育の経験も知識もない私が異国で熱帯魚輸出会社でリーダーとして生きていくために必要な感覚は”歴史観”だと確信していたからだと思う。特にワイルドと改良品種という二つの大カテゴリーをもっているディスカスについては歴史観は大事だと思っていた。なにしろ見方によっては「改良品種」の歴史は「ワイルド」より長いとも言える 特異な存在なのだ。 さて、その二つの疑問「なぜ大熱帯魚ブームのとき日本の改良品種は輸出志向とならなかった のか」「なぜドイツ改良品種は君臨し隆盛をきわめた頂点から短期間で衰退したのか」

について自分なりに考えるようになり ”それはこういう理由ではないか”との仮説を考えた。その時考えた事が「ドイツディスカスルネッサンスプロジェクト」を始める動機にもなりバックボーンになった

その仮説が正しいかどうか証明のしようもないし当たっているかどうかもわからない。ただ歴史観をもつためにはどうしても何らかの仮説が必要だった。それがないと次のステップがディスカスについては私には見えてこない。

 

日本の改良品種がおそらくその高品質にもかかわらず輸出志向にならなかったのは

日本のGDP=経済規模に関係があるのではないかと考えていた。日本のGDPは60年代後半にアメリカについで世界2位に躍り出た。その地位を2010年に中国に抜かれるまで半世紀近くキープした。同時に人口は1億2千万をこえており国内だけで巨大な市場をもっている。 だからディス カス改良品種のような小さな ”産業” にとって輸出する必要がなかったのではないかーという事だ。国民一人あたり所得が世界1位になったこともあり、国内に巨大な消費経済をかかえていて個人所得の高い日本でディスカスを輸出することは即ち”国内より安く売る”ーということに繋がる。なので輸出に魅力がなかったとも考えられる。 

 

(広州のインポーターが連れて行ってくれた毛沢東の好みの料理を再現した 湖南料理店 四川料理より辛い。貧富の差が日々拡大する中国で ”みんな貧乏だった時代” のノスタルジーで各地に毛沢東の出生地湖南料理の毛レストランができたと聞いた)

 

ではドイツはどうなのか。日本がGDP2位の時にドイツはおそらく不動の3位をキープしていたはずである。第一日本がGDP二位に躍り出た時抜かれて3位になったのは西ドイツだったのであ る。当時の西ドイツの人口も6000万を超えていて決して少なくない。となるとドイツも国内に大きな消費市場をかかえ輸出などする必要はないではないかーということと矛盾する。現実にはドイツの改良品種は日本や英国などに大量に輸出されていた。

そのドイツの改良品種が世界に多く輸出されたのは ”自らの売り込みではなくおそらく輸出して欲しいという環境に押されて始まったのでは ないかと”との仮説をたてた。それは独創的な商品を独占的にもっているパイオニアだけに許される特権ではないか。それが当時の西ドイツの改良品種だったのではないかとの仮説を立てた。

もう一つ日本の改良品種が華々しく輸出をしなかった(できなかった)理由に「商社の不在」があるのではないかとも考えた。日本の基幹産業の移り変わりをみていると戦前はおそらく繊維であり、戦後は高度成長をささえたのが鉄鋼、造船、繊維で安定成長にはいってからは 機械、弱電そして自動車だろう。その輸出の先兵となったのが総合商社で商社が切り開いた市場にまず 大企業が進出しそのあと関連の技術系の中小企業がついていった。日本の経済成長のキーはメー カーの技術だけでなく総合商社(専門商社を加えてもいい)にもあったといっても過言ではな いと思っている。

輸出とか海外営業というのは実際にやってみると実に面倒くさいしややこしい。まず最低英語、文化の違い、商習慣、強引な交渉、自分の利益を当たり前のように優先するのが当然、の世界が待っている。会議で意見を言わないと存在しないと同じ扱いを受けるなど、慣れないと戸惑うことが本当に多い 

そして最も大変なのが債権保全だ。つまりお金の回収である。

日本のように約束を守る国などは稀である。輸入に比べると輸出は数倍困難が伴う。

そこをカバーし販売の筋道をたて情報を集め分析しメーカーを海外ビジネスのリスクから守り導いたのが総合商社だ。日本のメーカーは技術を磨き良い物をつくっていればよかった時代があった。今でこそ大企業の海外部門は充実し、MBAをもっている社員を何人も有し直接輸出などお手の物だろうがついこの間まで、バブル前の80年代半ばくらいまでは日本の産業は総 合商社に頼らざるを得なかったはずである。 

なのでもし日本の改良品種を扱う商社が介在したら、それは三井とか三菱のことではなく

”商社的能力、語学、交渉技術、債権保全のスキーム”などを持った人間が一人か二人業界に居て、日本の改良品種業界を率いて海外に売り込んだら、おそらくアジアを欧州をそれが短期間であっても席巻した可能性があったと思っている。しかし内需で供給をまかなえる市場があれば、その動機がないのは自明であると。

 

4 ドイツ改良品種の落日

 

では「なぜドイツの改良品種が急激に衰退したのか」それも徐々にではなく急激に。

それはドイツの改良品種が趣味の延長として登場したのに対し

アジアの改良品種は最初から”産業”として出てきたからではないか。 つまりドイツの改良品種は金儲けのためにでてきたのではなく趣味の延長であり

「それがビジネスになることにある日気がついた」のであり、一方アジアの改良品種は「最初からビジネスとして登場した」からではないかと想像をめぐらした。単なる人件費の差、生産コストの差だけではなくその根本が生まれが全くドイツとアジアと違うからではないか?と考えたドイツが趣味の延長であるのに対し東南アジア勢は輸出を前提とした産業として登場したのであると。

ドイツ改良品種の急激な衰退の二つめの理由はアジア勢がのびてきたころドイツ自身に「みずからがドイツ改良品種の栄光の歴史を背負っているという意識がなく、それがブランドとして価値 があると意識していなかったのではないか」と想像した。もしその仮説が多少なりともあっているとしたら、それはドイツの敗北は必至だと思った。後発が技術をあげ、そして一定レベルに達し、コストも安い。

一方ドイツにもし歴史を背負っている意識もなく過去の栄光に対する 誇りも消えていくとなれば、ブランド意識といっていいものを少しでも持とうとしなかったら 、消費者に訴えるものは価格だけである。

しかしそのような危機に瀕した一流のモノは世の中にはいくらでもあった。その多くは消えていったはずだ。一方現在まで厳然として存在しているモノも決して少なくない。20世紀後半に限っていて言えばその時代を代表するグローバルブランドである”Made In Japan”に駆逐され追われまくったモノの群である。BMWやドカティのバイク、スイスの時計、モンブランの万年筆、フェ ラーリやポルシェのスポーツカー、ライカやリンホフのカメラ、ジッチオの三脚、マイセンやリモージュの陶器、ゼロックスのコピーマシン、シャネルやディオールのオートクチュール、フェン ウィックの釣りロッドやPennやABUのリールもそうかもしれない。見かたによってはボルドーや ブルゴーニュのワインもタンノイスピーカーも。 

 

(シュツットガルトのポルシェ博物館で。一時は倒産も囁かれていた。911の空冷エンジンを水冷 のエンジンに悩みに悩んだ末切り替え、見事に復活した。)  

 

これらの多くがmade in Japanに押されたものである。CANONにYAMAHAにDAIWAやSHIMANO にPilotやSeikoにSlickやSANSUIに NikonやカリフォルニアやチリのワインにPANASONIC やSONYに押された。例えばフェラーリは一見当時の日本車とセグメントが全く違うように見 える。しかし全てのスポーツカーの最大の市場アメリカで、日本自動車史にのこる”事件”。フェ アレディーZがアメリカ市場への登場した。「いつかはフェラーリ、いつかはポルシェ」と夢想していた若者がいつ買えるかわからないそんなクルマを諦めて、少ない貯金をおろしてこの”安価 でそこそこ早い”フェアレディーZ"を買ったに違いないと想像していた。そして何人かの”将来 のフェラーリ、将来のポルシェの客”を失ったはずである。

しかしいずれのブランドも追い込まれ紆余曲折はあったにしろ今でも厳然としてその分野の頂 点を維持していた。ブランドは大きく毀損せずその存在感を示しているのだった。

多くの伝統ある商品の市場を奪い、機能性を高め、コストパフォーマンスが優れたどれだけいい製品をだしても”頂点”をきわめるために"Made In Japan"が唯一もっていないもの それは 「歴史」「製品のストーリー」である。それがブランド力の源泉に他ならない。それはお金では 決して買うことができない。

 

5 ドイツディスカスルネッサンスプロジェクトに着手する

 

さて2009年。日本で一世を風靡していた”安いものがいいものだ” ”値段がすべてである” ”高いと売れない”。マクドナルドのハンバーガーが59円となり、牛丼が値下げ競争に狂奔し ユニクロは国民服となっていたその時代にあきらかに変化がで始めていた。

安いものに疲れている人たちがでてきていたのだった。ビジネス雑誌などにそんな記事が散見されるようになった。

ドイツ改良品種は改良品種のパイオニアであり、数々のストレインを打ち立て、世界に広がり、君臨し、そして後発に多くのん影響を与えたディスカスだ。

つまり東南アジアがどれだけ技術を磨き価格競争力をもっていても、彼らが決してお金買えることがのできない ”歴史と伝統” ”ストーリー” を持っているのだった。

”決して多くの人の支持をうけることはないだろう、しかし必ず 何人かのディスカスファンが注目するだろう”

それはたとえばフェラーリのように、モンブランのマイシュターシュテックのように、BMWの水 平対向エンジンのバイクのように、そしてボルドーの格付けワインのように。

ドイツディスカス復興計画に着手した。

その条件は"made In Germany"であること。 国境を一歩超えてルクセンブルグでもデンマークでもオランダでもオーストリアでもダメで "Made In Germany"であること。そしてその親はドイツ純血種である事。を決めて復活計画に着手しブリーダーを探し始めた。

まずドイツでブリーダーを探すことが先決だ。

このプロジェクト「ドイツディスカス復興計画」に興味を示してくれるブリーダーが見つからなければ、このプロジェクトを進めるも何も成立しないのである。2009年も暮れ近い時だった

 

元WBSABBY代表 小野田啓右