2017年11月12日

ディスカス復興プロジェクトで思い出すことなど その4

アレンカーディスカスの登場 ドイツそして日本

 

1 WBSABBYはディスカスを扱ってはいなかった。

 

この間までブラジルにいた。18ヶ月ぶりだ。24年前にこの地で仕事をはじめてからこれだけの間不在にしたことは初めてで最早懐かしいと感じるようになった。しぶりにWBSABBYの温室にはいってみるとちょうどクイペアディスカスが入荷したところだった。以前は入荷の度に立会ってどんなディスカスがでてくるか袋があいて姿をあらわすたびに興奮したり落胆したりしていた。今は温室をグルリとまわってチラッとみるだけになった。それでもこのクイペアディスカスには特別の感想がある。 

WBSABBYはその前身であるAquario Tocantins時代もいれると来年で設立して25年目を迎える。その間決してて少なくはない新種や話題となった魚を紹介してきた。それはプレコ、テトラ、シクリット、アピストグラマ、ナマズ、コリドラスなどいろいろな種類であった。それらの魚はそれなりに話題になりWBSABBYの評判を高め、また一種の信用にもつながった。その中でクイペアディスカスほどWBSABBYの経営、評価 人的ネットワーク、友人関係そして熱帯魚の世界観に影響をあたえた魚はない。それは断言できる。

この90年代の終わり頃にこのディスカスを採集し、ドイツ語圏と日本に紹介したことによって大きくWBABBYの方向が定まった。WBABBYを始めてから数年間はディスカスは扱わなかった。それ以外の魚、エイやナマズも含めありとあらゆる魚を扱い、また新種や珍種を当時としてはかなり積極的に探し集めて輸出した。しかし熱帯魚の王様と当時から呼ばれていたディスカスは扱わなかった。それはWBSABBYのロケーションがネックになっていたからだ。

WBSABBYはブラジルでいわゆるアマゾンと呼ばれる地域にはない。多くのエキスポーターは当時も今でもアマゾン域にあり、それはマナウス市とベレン市が中心だ。マナウスはアマゾン本流の中心にあり、北にはリオネグロ、西と東にアマゾン本流をかかえ熱帯魚の仕事には最高の位置にあるといえる。ベレンはアマゾン本流の河口の町がだがプレコの産地アルタミラまで飛行機ですぐの位置で大支流トカンチンス河、シングー河がそのリーチに入っているといっていい。

WBSABBYは設立当初から現在に至るまでゴイアス州ゴイアニア市にあり、その州も州都のゴイアニアも海外では知られることのない町だ。場所はブラジルのほぼ中央、首都ブラジリアは連邦直轄地で、それは丁度アメリカのワシントンと同じだ。ブラジリアは地理的にはゴイアス州内にある。ブラジルでは中央高原(セラード)と呼ばれる地域にあり生態系も植生もアマゾンとは異なっている。熱帯魚でいえば大河アラグアイア河が州境を流ているが、本流からは遠い。ゴイアニアからアマゾンの中心地マナウスにいくには飛行機でいくしかないが

 

 

 

(ディスカスを採集する 木の下にいる事が多いディスカスは木を倒してディスカスを集め採集するやりかたも各地である)

 

だいたい乗り継ぎも含めると半日以上かかる。丁度東京からバンコクに行くのと同じくらいかかるのだ。当時ディスカスは圧倒的にマナウスのエキスポーターが強いとされていてそれは独占の様相をしめしていた。なにしろマナウスは左翼にテフェとコアリ、右翼にニャムンダ 北部にネグロヘッケル、それにアバカシスとかマナカプルどか当時の有名ワイルドディスカスの大集積地だった。ベレンもディスカスの出荷が盛んだったと聞いたがそれは主に近郊でとれるブラウンディスカスのバリエーションでマナウスには比べるべくもない。そのくらいマナウスはワイルドディスカスを支配していた。

もしWBSABBYがディスカスを扱うとしたらそれはマナウス経由になり、マナウスでだれか温室を使わしてくれるという条件になる。更にそこで状態を整えてもらいパッキングしゴイアニアに出荷してくれる業者や卸をさがさなければならない。マナウスのエキスポーターが熱帯魚の競争相手であるWBSABBYに協力して分けてくれるとも思えなかったし仮に協力してくれても余程バカでない限りイイものはすべて自分たちで確保し、余り物を回してくるのは目に見えていた。

マナウスに卸してくれるディスカス漁師に直接依頼する手もあったが、彼らにパッキング技術はないし、中継の温室をマナウスにもっているわけでもない。品質もかなり酷いだろうということでディスカスを扱う気はなかった。それならそのエネルギーと資金をプレコとかシクリットとかコリドラスにあてたほうがいいーというのが当時の考えだった。

 

2 ディスカスを扱うきっかけとラーゴグランジ、そして北岸。

 

そのWBSABBYがディスカスを扱うきっかけになったのは偶然からだ 当時のドイツの取引先ミンボンアクアリウムからの依頼がきっかけだった。その依頼とはドイツのシクリットのスペシャリストのSという男のアマゾンでのアシストを依頼されたことだ。彼はサンタレン域のシクリットをいろいろ見てみたいとのことだった。WBSABBYはサンタレンにはそれまで行ったともなく、当然熱帯魚を採集したことも買ったこともなかった。でそのサンタレンでのSの行動のアシストを引き受け当時のWBSABBYのパートナーをサンタレンに送り込んだ。

ドイツ人Sはシクリットの専門ときいていたがそれは主にゲオ、レトロクルス、クレキクラなどで、ディスカスには興味がなかった。サンタレンに行った事がなくても”アレンカーディスカス”と一部で呼ばれているディスカスの存在はなんとなく聞いていた。しかしそれはブラウンディスカスの一種ということくらいで、どんなディスカスかなども知らなかった。アレンカーディスカスについては写真もほとんど無かったし熱帯魚雑誌でのアレンカーの記事はほとんどなかった。当時はテフェやマナカプル、アバカシス、コアリなどが有名だった。

 

 

(2010年1月 シュツットガルトにプロジェクトのため初めて行った

シュルツさんの家で。ディスカスの写真をひっぱりだして彼の説明を聞いた。)

 

さてSのアマゾンでのシクリット調査のアシストを終えてしばらくサンタレンに残った。サンタレン市の熱帯魚事情がどのようになっているのか調査したのだ。高い飛行機代を使ってわざわざアマゾンの町まで行っているのだから熱帯魚輸出業者としては当然といえば当然だった。サンタレン市には当時まともな熱帯魚問屋もなく、熱帯魚を採集できる漁師が存在するのかどうかも全くわからなかった

まず町にある確か2-3件あった熱帯魚屋さんをまわって情報をあつめることから始めた。するとそのうちの1件がディスカスを採集した事がある男がオーナーだった。彼が自分で時々近郊に採集にでかけそれはサンタレン市からすぐのマイカという所のベッタリしたソリッドのディスカスが主だった。ただ話をいろいろ聞いてみると少し前までアレンカー(北岸)にも行った事がありラーゴグランジ(南岸)にも行った事があるということだった。そのディスカスが良いディスカスかどうかもわからなかったし、当時はアレンカーディスカスについて多少とも知識があったのはドイツの一部のディスカス業者とその一部のディスカスブリーダーくらいで、しかしそれも現場を知っての事ではなかった。

この熱帯魚屋のオーナーの話をいろいろ手繰って行く内に”アレンカーディスカス”にドイツ人が大きく関与していた事が分かってきた。そのドイツ人もサンタレン域のディスカス採集の現場に行ったわけではなく、ベレンから人を派遣しその男がサンタレンの別の男(熱帯魚屋の彼のことだったが)を派遣して何度かディスカスを集めた事があるーということだった。

そして私の当時のパートナーがこの熱帯魚屋の男とラーゴグランジでの採集に同行することになった。まだこの時にはクイペアの名前は出ていない。出たのは北岸ではパラカリ、クリクアラ、ジャラキ、南岸ラーゴグランジでは、イナヌ、イテルビナ当たりだったと思う。

 

3 ディスカスの良し悪しの見方もよくわからなかった。

 

その時96年か97年のシーズンだったと思うが、まず行ったのは多分イナヌだったと思う。まだ採集がほんの少ししかされていなかったので、その頃のイナヌは質が良かった。しかしその質について良いのかそうでないのか当時のWBSABBYはよくわかっていない。

まずWBSABBYにワイルドディスカスの良し悪しよく見れるだけの知識もなかった。勿論”炭赤”という言葉もしらなかったし、レッドパッチという言葉もまだ使っていない。つまり”アレンカーの赤”についての知識が我々にも世間にもほぼ全くなかったといっていい。日本の業者はもちろん、何の知識も持っていない。だからラーゴグランジで採集してWBSABBYに送られてきたディスカスが良いかどうかよく判断できなかったのだった。だから水槽に何十匹も入っているディスカスを前にして”売れるだろうか”と思ったのを覚えている。

まだ欧州でもワイルドディスカスはブームになっていなかったし日本などは”アレンカー?ブラウンディスカスでしょ”という感じだった。こちらも知識がなかったので”あの一部で少し話題になったことがあるらしいアレンカーの採集の産地を特定したディスカスです” と言ったが特に日本での業者には”アンンカーディスカスねぇ。ただのブラウンだし、グリーンやブルーに比べるとねぇ”という雰囲気があった。

WBSABBYがアレンカーディスカスの名前を世界のディスカスファンに知らしめたーというのは傲慢かもしれない。しかしその大きな推進力となったといっても、それほど過大評価にはなるまい。

 

4 ドイツのこと そして日本。

 

それはしかしWBSBABYの仕事上のパートナーとなるインポーターの協力と理解が必要だった。アレンカーディスカスはドイツ圏そして日本に広がった。そしてかなり遅れてドイツ語圏以外の欧州、北米、最後にアジア、東アジア、東南アジアにひろがり現在にいたっている。

WBSABBYは前述のようにアレンカーディスカスを手がける事によってよりエキスポーターとして世界に知られるようになり、このアレンカーディスカスのを手掛けたことで仕事としても、人脈にしても新しい局面に入ったといえる。それはドイツと日本の存在があったからでそれは間違いない。

だがアレンカーディスカス登場の初期においてそのディスカスについて示唆をくれ、アレンカーの”赤”について評価分析し、このディスカスの輸出をWBSABBYが続けることを強くすすめてくれたのは”ドイツ”だった。だからドイツへのアレンカーディスカスの輸出に苦労した記憶はないが日本にはこちらから手変え品変え売り込まなければならなかった。それは当時から今に至るまで私の中での小さな敗北感になっている。

 

 

 

(2010年1月 シュツットガルトで 王宮 冷え冷えとしイメージ通り深閑としていていた)

 

なぜ祖国日本の理解がドイツに遅れたのか?一般に美意識において、審美眼において日本がドイツより劣るとは思えない。観念哲学や臨床医学ならともかく”美”については分野によってはドイツより優れているかもしれない。しかし”アレンカーの赤”については日本市場の理解はゆっくりとしたもので、簡単には理解されなかった。

私は決してドイツファンではない ドイツには30回以上はいったと思うが一度も自分から観光をした記憶がない。ドイツ文化にもあまり興味が持てない。クルマは好きだがドイツ車にそれほど興味があるわけでもない。私の知る限りドイツは日本人のドイツに対する妙な幻想と違い、どちらかというと反日的であり一般にドイツ人が日本人に親しみももっているとは思えない。東洋人に対する人種差別も例えば他のラテン諸国や北欧にくらべ激しいし感じが悪い。何度か ”この延長にドイツが決して消すことができないあの暗黒の歴史があったのか”とつい想像してしまうような経験もした。

なので、もしビジネスがなければ1回以上ドイツに行くことはなかっただろう。今でもビジネスがなくなればドイツに行くことはないだろう。何人かの家族ぐるみの友人はいるがそれは別の話である。しかしてアレンカーディスカスを抱えて分からないままワイルドディスカス界にデビューしたWBSABBYを、勇気づけアドヴァイスをし、押し上げてくれたのは間違いなくドイツだったその一点に於いていまでもドイツには感謝している。

 

元WBSABBY代表

小野田啓右